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マレーシア航空の歴史

マレーシア航空の起源

画像マレーシア航空の歴史は、旅行黄金期の中で始まりました。Ocean Steamship Company of Liverpool(リバプール海洋汽船会社)、Straits Steamship Company of Singapore(シンガポール海峡汽船会社)、Imperial Airways(帝国航空)の三社連合は、ペナン・シンガポール間を結ぶ航空サービスの就航を求めて、植民地海峡開拓政府(the government of the colonial straits settlement)との折衝にあたり、その結果、1937年10月12日に、Malayan Airways Limited (MAL)が誕生しました。

1947年4月2日に最初の旅客がMALのシンガポール発クアラルンプール行エアスピードコンスル機に搭乗しました。同年末には国家の成長とともに拡大する国内航空空需要に対処すべく事業の拡大を進めていきます。さらにその3ヶ月後にはジャカルタ、メダン、パレンバン、サイゴンへの国際線の運航を開始しました。海外旅行の時代がアジアにも到来し、MALは国際線サービスのパイオニアになろうと考えていたのです。

British Overseas Airways Corporation (BOAC、現在の英国航空)もまた、テクノロジー面のパイオニアとして、メンテナンス、スタッフ・トレーニングなどの専門分野でのサービスを提供していました。MALの筆頭株主であったBOACは、英国で現地乗務員のトレーニングも行っており、このBOACの存在も背景にMALはIATA(国際民間航空輸送協会)に加盟しました。

国際線需要のニーズを満たすことは同時に機材の増強と機内サービスの向上も意味しました。5人乗りのエアスピードコンスル機に加え、新たに21人乗りのDC-3型機を導入。このDC-3型機は、MALが最初の機内サービスを開始した記念すべき機種でもありました。

1957年マレーシア独立の翌年にはMALは新たな段階を迎え、BOAC、カンタス、およびマレーシア・シンガポール・北ボルネオ連邦政府の出資により、株式会社としてのスタートをきりました。

1958年にはビーバー機5機、ダグラス社の DC-4型スカイマスター1機を新規導入しました。スカイマスターは、新ルートである香港路線に就航し、MALの東南アジア圏外へのフライトの第一歩となりました。

1959年も機材増強の動きは継続、Vickers Viscountの購入によりジェット時代に突入しました。ジェット時代には、運航速度の向上と機内サービスの更なる向上を実現することとなります。1960年にはLockheed Super Constellation機を導入、MALのアジア地域外へのサービス展開の原動力となりました。

1960年の82人乗りBriston Britania機の購入により、航空機による大量輸送が現実のものとなりました。同機はクアラルンプールと香港間を結ぶ初のノンストップ直行便となりました。


60年代の発展期

画像60年代は、世界にとって、そしてMALにとっての変革期でした。1963年のマレーシア建国に伴い、社名をMalaysian Airlines Limited (MAL)へと変更、そして新たな国家の誕生によって、MALはマレーシア国内を隅々まで網羅する路線網の整備を求められていくようになりました。

ボルネオ・マレーシア両政府は、国内輸送システムの統合を更に推進する必要性を認識しており、同年ボルネオ航空(Borneo Airways)とMALとの合併統合をもたらしました。その結果、2国間の関係はより密接となり、F27型機5機の追加購入など、航空機の増強も加速しました。

3年後の1966年、マレーシア・シンガポール両政府がMALの筆頭株主となりました。開業以来20年の間に、MALは1機の航空機を運行する小さな航空会社から、従業員2,400名を擁し、最新鋭 Comet IV型ジェット機1機、F27型6機、DC型8機、Twin Pioneer機2機を所有・運行する航空会社へと成長しました。

1967年、シンガポールの建国に伴う新ブランド戦略の展開で、社名をMalaysia-Singapore Airlines (MSA)へと変更、更に同年、国際線ルートをマニラ、パース、シドニー、台北へと拡大しました。新規路線投入機材として最新機種のBoeing 707型機3機、F27型機2機を導入、本社をシンガポールのRobinson Roadに設立しています。

1968年に東京便が就航し、1969年にはバリ線のサービスを開始、その1年後には新たな就航地としてマドラスとコロンボを加えています。

1971年にマレーシアとシンガポールの提携関係が解消され、同年4月に資本1億マレーシア・リンギットのMalaysia Airlines Berhadが設立されました。同社は1971年11月に社名を変更、現在のマレーシア航空(Malaysian Airline System Berhad (MAS)が誕生しました。


近代化に向けて

画像1972年までにマレーシア航空は国内線34路線、国際線6路線を運行していました。1972年11月、マレーシア航空はオーストラリアのシドニーで開催された第13回OAA議長会議の承認を得て、OAA(東洋エアライン協会)に加盟しました。

業務の急速な拡大に伴い、1973年5月にはMASの旅客数は100万人を突破し、更に同年末には旅客数が200万人を突破しました。マレーシア航空の国際線ルートも一段と拡大していきます。グローバル化の流れの中で、東京、ロンドン、マドラス、マニラ、シドニーなどビジネス需要の高い都市をはじめ、アンマン、ハジャイ、ジェッダ、パース、台北などにも新路線を展開していきました。
1975年には、機内誌「The Wings of Gold」が創刊されています。

1976年、情報時代に突入しMASは全業務のコンピュータ化を進めていきます。最初の大型機DC10の導入で、新たな国際ルートの運航が可能になりました。欧州地域へのルート拡大で、フランクフルト、アムステルダム、パリへの便が就航、旅行者客は新たな地域への旅行を楽しめるようになりました。

1980年代には、MASは主要政府機関民営化の第1号となりました。1985年に、7,000万株を一般公開し、一般事業法人の仲間入りをしました。この株式公開の結果、MASの払込資本金は3億5,000万マレーシア・リンギットに、準備金は2億2,700万マレーシア・リンギットに拡大しました。

政府機関を前身とするマレーシア航空は、国を代表する航空会社としての役割を担うと同時に、企業としての中心課題である株主の利益に対する責任をを明確化するコーポレート・ガバナンス・システム(企業統治制度)を採用しました。ビジネス習慣が変っても、顧客志向という企業理念の中核が揺らぐことはありませんでした。

近代化と業務拡大戦略の一環として、MASは新たな整備用格納施設への投資を行い、スバンのケータリング施設の拡張投資も行いました。さらに組織再編の総仕上げとして、クアラルンプールのビジネス街中心部に位置するJalan Sultan Ismailに新本店を移転しました。今後は総建設費8,800万マレーシア・リンギットを投じて建設した36階建ての新本社ビルが、マレーシア航空の業務展開の拠点となります。


グローバル展開

画像1986年、MASは初の米国線のサービスを開始しました。
週2便、東京経由ロサンゼルス便は、新型機ボーイング747-300型機(アッパーデッキ延長・貨客混載型)にて運航されました。1987年末には、国内線34路線、国際線27路線を運行する国際的な航空会社にまで成長しました。

マレーシア航空は顧客第一主義であり続けてきました。1987年9月にスタートした "Esteemed Travellers " には、マレーシア航空の顧客重視の姿勢があらわれています。その1ヶ月後にはCI(コーポレート・アイデンティティー)の変更を行い、Malaysian Airline System (MAS)に代わって、Malaysia Airlinesを通称として用いることになりました。このCIの変更は、より鮮明にマレーシアが認識されることを意図しており、マレーシアを国際的にも認められる観光国・貿易国に育てようという政府と同じ方向性を示すものでした。

1990年には、広州、ホーチミン、福岡、ポンティアナック線の開設など、国際路線の拡充を進め、旅客需要の増加に応え、ロンドン便、東京便も増設しました。

また、機材も一新、1991年に96億マレーシア・リンギットを投下し旅客機を大幅に増強しました。1996年1月9日にはボーイング社B777-200型機10機、B777-300型機5機、B747-400型機10機の総額約100億マレーシア・リンギットの契約を発表しました。

1997年4月2日にはマレーシア航空誕生50周年を迎え、同日新規購入機B777-200は、二つの世界記録を樹立しました:ひとつはシアトル・クアラルンプール間、最長距離のノンストップ運航、二つめは最高飛行速度の達成です。同機「Super Ranger」は、4月27日にクアラルンプールに着陸しました。

2001年3月現在マレーシア航空は95機の旅客機を所有・運航しています。現在114都市に及ぶ路線を持ち、ご搭乗のお客様の如何なるニーズにもお応えいたします。世界中どこへでもマレーシア航空はお客様とご一緒いたします。


更なる目標へ

画像新世紀を迎え、マレーシア航空はおよそ100機の旅客機を世界100都市以上に運航しています。多方面にわたり業界のパイオニア的役割を果たしてきた実績が、お客様そして提携パートナーに対するマレーシア航空の姿勢を実証しています。

近年の例では、2001年4月に自然環境の厳しいロシア・北アラスカ北極圏ルートを、世界で初めてツイン・エンジン旅客機での飛行を実現させました。マレーシア航空のDato' Mohd Nor Yusof 社長に加え、ボーイング社及びロールスロイス社の代表団、ロシア航空管制局の管理当局者2名、並びにマレーシア民間航空機局(Malaysian Department of Civil Aviation)の高官も、この歴史的な飛行に参加しています。

こうした新規ルートの開拓は、大幅な時間節約効果をお客様にもたらしました。また、マレーシア航空がこうした偉業の達成したアジア初の航空会社であることにも誇りを持っています。

さらに近年、業務拡大の一環としてキャセイパシフィック航空との業務提携によるコードシェア便の運行協定を結ぶことによって、香港便の増便も可能となりました。

業務提携が通常化した時代となり、マレーシア航空は機内食・保守整備・航空会社間のスムーズな乗継など、多岐にわたるサービスの提供を実現させる提携契約を、多数の国内外航空会社と交わしています。また、そうした実績に対し、アジア経営者協会やボーイング社など様々な組織・団体から表彰を受けています。

マレーシア航空初便が就航した1972年を振り返ると、当時のマレーシア副首相Tun Dr. Ismail氏は「マレーシア航空が地域の最先端航空会社となる必要性」を訴えたおりました。そして現在、MASは確固たる実績を持つ国際航空会社への成長を成し遂げています。

新たな情報化時代、マレーシア航空は航空会社としての、また国際経済を支える企業として果たすべき役割を実感しています。人材開発、トレーニング、ケータリングサービス、資産コンサルティング、航空機の整備など、多岐の分野へと事業を進めてきました。また、最先端の技術を投入したクアラルンプール国際空港(Kuala Lumpur International Airport (KLIA))の存在が脚光を浴びる中、パートナー会社のニーズに応え、世界規模の貨物輸送管理施設も提供しています。

これまで50年間以上にわたって培ってきた経験をもとに、マレーシア航空は益々拡大する旅客の皆様のニーズに応えるべく努力しております。航空会社として提供し得る最善のサービスの実現に努め、最先端の機内エンターテイメント・システムから世界最高水準のお食事、さらに日常生活に係わる些細な事柄に至るまで、マレーシア航空は、常に旅客の皆様の快適性とサービスの新たな規格の設定者としての役割を果たして来ました。マレーシア航空で、快適な空の旅をお楽しみください。

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